意味ありげな単語

短歌を詠むようになってから「意味ありげな単語」が気になるようになった。例えば「君」とか「愛」とか「生」とか「死」とか「空」とか。人が高ぶった感情の時に使う単語。そういう単語を使って歌を詠むことにちょっと抵抗がある。なんだか非常に安易に情感を醸し出してしまう感じがするのだ。それは、その歌を読んだ人に負荷を与えるというか、読んだ人の想像力に依存しているというか。しかし、ボキャブラリーが少ないのか、どうしてもそんな単語を使ってしまう。いや、人が使うぶんには良いのだけれど、なんか自分が使うと恥ずかしい感じがするのだ。
例えば、今回の短歌日記の単語を挙げてみる。「大切」、「待つ」、「僕」、「君」、「いる」。いかにも意味ありげな単語だ。できたら、そういう意味ありげな単語を使わずに意味なさげな単語で短歌を詠みたい。

寒いねと話しかければ寒いねと答える人のいる暖かさ 俵万智
この歌で使われている「暖かさ」という単語は意味ありげな単語だと思う。しかし、「寒い」と対比させることによって意味なさげな単語になっているように思う。他に使われている単語はこれと云って意味ありげとは思えない。
俵万智の歌と僕の歌は意図は似ていると思っているけれど、僕の歌はいかにも意味ありげで仰々しい。俵万智の歌はさりげなく、かつその実意味深い。うーん。安易に単語を選ぶのは良くない。
で、さっきの歌をなおしてみる。

  • 「待っててね」、「うん待ってるよ」。「待たせたね」、「ううん全然」、「ごめん遅れて」。

ってのはどうだろう。でもこうなると意味が薄いなあ…。せりふを並べただけだなんて芸がない。この際だから「待つ」にこだわらないように考えよう。

  • 簡潔に「君たちがいて僕がいる」チャーリー浜が哲学的で

崩れすぎてる…。かろうじてコンセプトだけは維持できているけど、短歌としてはどうだか…。「哲学的」は意味ありげな単語だが「チャーリー浜」で相殺。意味ありげ度は低く出来たけれども…。
短歌は結構難しい。