枡野浩一さんとのひと悶着があってから、短歌を詠めないでいた。短歌が彼の「かんたん短歌blog」に「選ばれてない」とか「文章が面白くない」と云われて凹んだ。短歌については兎も角、面白い文章を書きたいと思っていたわけでなく、彼に伝わればと思っていた。

偽名で投稿しようかとも思ったが、僕には二つの名前を使って物を書くほどの力は多分無いと思いやめた。

彼の短歌はすごく好きだけれど、あのやりとりはやはり僕の中では納得がいかなかった。あの顛末を「転校生−委員長」モデルにされるのは矢張りね。そして、未だにまだ納得はいってはいないが、人と人とはそれくらい地平が分断されているのはある意味当たり前かとも思う。あれ以後彼の著作には目を通していないが、そろそろ通すべきかも知れない。これって、日和すぎだろうか。

と云うのは、彼は心外かも知れないが、一読者としての僕は彼の短歌に大きく影響を受けた。短歌を詠み始めたのは、俵万智の影響がまずあったし、穂村弘寒川猫持に興味を持ったところがあるけれども、矢張り作歌については彼の影響を無視することはできない。

これから先、短歌を詠むならば彼の影響を受けざるを得ないだろうし、彼を意識せずに作歌するのはおそらく不可能だろう。

関係修復とかそんなのはおこがましいけれども、僕が意図的に作歌を続けるにはこのような云い訳が必要なのだ。本来なら、けろっと詠んでいてしかるべきなのだが。

「今後このような投稿者が出てきた場合どうすればよいのか」と云うようなコメントをされたような気がするけれど、どうなんだろう。枡野さんはわからないけれど、私にはそんなわだかまりは多分無いです。