CMとは(そして短歌)

僕のCMや広告に対する傾倒というのは今に始まったわけではなくて、高校時代くらいから。僕は美術部に入ったり華道部に入ったり放送部に出入りしたりして、表現メディアに対しての意識は少しばかりはあった。一方で、芸術ってなんだろうという根本的な疑問をずっともっていた。美術館に飾ってあるものが芸術なのが、わけのわからぬ現代アートがそれなのか。作品の背景、高度な文脈。芸術の鑑賞というのは感性というよりも知識が重要視される。それってなんか変じゃ?審美的なものとか感覚に訴えるもので、もっとも高度な技術が必要とされるものというのは、あくまで「一般の人」が共感でき、ぎりぎりの違和感を感じ、文脈をすれすれで共有できるその微妙なラインに突っ込むものでなければならないはず。
既存のアートは選ばれた者しか鑑賞することを許さない。そんな閉じられた世界でいいのか。そして、アートは貨幣的価値に換算できないのか。広告の世界は貨幣的価値に非常に敏感だ。商品が売れるためにあらゆる手を使って見る人に訴えかける。その泥臭い行為こそアートの本質なのではあるまいか。そう云う意味で、いわゆる既存のアートというものは死んでいると思う。村上隆だって、あれはアートなのかどうかわからない。いや、彼のインタビューとか聴くともっともらしい解説なんかしてくれて、それはそれでうんうんとか頷かされるけど、アートって説明されなければ理解できないものなのか?作品の外側で作品の芸術性を補完しなければならないなんて、作品が説得力が無いだけなのではないか?
例えば、僕なんか短歌を詠むけど、一首の短歌を詠んで、その説明を書くことって、自分もするけどあまりよいことではないように思う。あくまで、作品が主体であって、それは作者の意図を超えたところに存在すべきであるはずだ。
そう云う意味で、CM、広告という分野というものは、非常に限られた資金と媒体で表現する、非常にストイックな表現形式だと思う。故にそれは洗練されるのだ。そう考えると、短歌と少し似ているかも知れない。