ふるさとの訛りなつかし

  • ふるさとの訛りなつかし 停車場の人込みの中に そを聞きに行く(石川啄木

下の歌は、もちろんこの歌の本歌取りだったのだけれど、うろ覚えだったのでちゃんと本歌取りになっていなかった。推敲してみよう。

  • ふるさとじゃないけど懐かしい訛り 停車場の数指折り数え

これじゃ状況はおろか、何を云いたいのかも不明。大幅に変更。

  • 停車場の人ごみの中なつかしい 訛りはふるさとのものじゃない

四句目と五句目の句またがりがいまいちな感じ。しかも、「あらすじ短歌」。

  • 停車場の人込みの中行く人の 君の訛りを聞き分けている

結局、僕の歌は「僕−君」で閉じてしまうんだ。それはまあよい。「聞き分けている」のは「聞きに行く」と同じく能動的なのだが、上の句がいまいち。「僕」は一体何をしているのか。

  • 停車場の人込みの中行く人の 君の訛りを聞き分ける僕

「行く人の」の「の」がすごく気になるところ。あと、あえて「停車場」を入れる必要があるのか疑問。

  • 停車場の人込みの中行く人は 僕の訛りを聞き分ける君

と、逆に捻ってみたら「君」って誰なんだと云う不思議な感覚が出るのはまた別の話。
人込みと云えば、通勤の駅。

  • 通勤の人込みの駅行く人の 君の訛りを聞き分ける僕

あれ、訛りを聞くのは通勤時間じゃなくて駅にいろいろな人がいる時ではあるまいか。

  • 日曜の人込みの駅行く人の 君の訛りを聞き分ける僕

「日曜」はなんとなく漠然としすぎかも知れない。

  • 連休の人込みの駅行く人の 君の訛りを聞き分ける僕

「連休」と云う状況設定は案外良いかもしれない。しかし、何となしに「君」の存在が強く出すぎているような気がする。今、ここでの「君」は「訛り」の中にしか存在しないはずなのだ。反対に「僕」は云わずもがな。

  • 連休の人込みの駅行く人に 君の訛りを聞いた気がする

では少し弱い。確実に聞いたはず。

  • 連休の人込みの駅行く人に 君の訛りを聞いた 確かに

分かち書きが過ぎるような気はするけれど、これで決定。