2004-04-05-Monに、枡野浩一かんたん短歌blogに投稿した歌

  • 悲しさはメープルシロップの味がしたホットケーキにしみをつくって(出石正比古+須永朝子)

が4/9の枡野浩一かんたん短歌blogで枡野氏に、


 これも前半、かなり字余りですね。同じ内容で、字余りのない書き方もできるはずです。「これで完成だ!」と満足せず、いろんな書き方を試みてみてください。試みたあと、結局ここに着地したというなら、OKです。
誤読を避けるため、「味がした」のあとは、1文字あきをいれたほうが親切だと思います。
 この短歌の魅力は、「悲しさ」なのにメープルシロップのような「甘い」味がした、という皮肉な構図です。メープルシロップ(甘い)のしみこんだホットケーキ(あったかい)を食べながら、悲しさを味わっている……というイメージなのでしょうか。その着眼点に1票。
 なお、ふたりの合作ということで連名になっていますが、経緯の説明を読むかぎり、これは須永朝子さんの作品だと私は思います。
 短歌は「何を書くか」よりも「どう書くか」のほうが、より重要なジャンルです。そのへんのことは、追々またご説明する機会も訪れるでしょう。
と講評を受けたもの。
確かに、「何を書くか」より「どう書くか」と云うことは重要だと思うので、僕の短歌のスーパーヴァイザーである須永朝子女史の名義としました。そして、彼女にまた作り直して貰い、枡野氏の指摘を受け1文字空きとしたわけです。
今回の場合は僕が素材を提供してそれを須永女史が全く別の料理の仕方があると云う例を出してくれたのを採用したので、須永女史の歌であるのは確か。僕は短歌を詠んだ後彼女に感想を求めたり変なところを指摘して貰ったりしているのだけれど、これは短歌の世界における師匠と弟子の関係になってしまうのだろうか。須永女史は短歌はたくさん読んでいるけれども歌は詠まないみたいなんだよなあ。詠んだらいいのに。
しかしながら、いろいろな世界でダブルネームを見かけるけれど短歌では合作と云うのは出来ないのだろうか。