お茶日記 アフタヌーンティーで英国紅茶を知る

NHK教育の英会話番組「いまから出直し英語塾」でアフタヌーンティーにまつわる英語をテーマに、実際にアフタヌーンティーの準備をしながら英語で解説するという企画があった。これが結構勉強になって、長年の疑問が解決した(と思った)。
茶葉をポットに入れる際に良く「カップの数の茶葉を一杯ずつティースプーンで入れ、最後にポットのための一杯の茶葉を入れる」と云う。しかし、その通りに淹れてみると渋くて飲めないのだ。これは個人の味覚の問題で、ただ僕が濃い紅茶が嫌いなだけなのだと思っていた。番組でも実際に「ポットのための一杯」が紹介されていた。
しかし、いざ飲む場面になると二つのポットが出てきた。僕はてっきり、茶葉が入っているポットの中のお茶が濃くなり過ぎないように、ちょうど良い濃さになったらもう一つのポットに移し替えるのだと思った。しかし、説明ではもう一つのポットに入っているものはただのお湯。アフタヌーンティーの場ではお茶が入ったポットの他に、お湯が入ったポットもあわせて客の前に出されるのだ。そのお湯を何に使うかと云うと、驚く無かれ、紅茶を薄めるために使うのだそうだ。つまり「ポットのための一杯」の茶葉と云うのは、客の好みに合わせるためにわざと濃くお茶を入れるための作法だったのだ。
僕は常々、喫茶店など出だされる紅茶を濃く感じて、普通の喫茶店ではわざわざウェイターに薄く淹れるように頼むことがある。紅茶専門の喫茶店ではさすがにそんなことは云えなくて、濃い紅茶を当たり前のものだと思って、僕のみ角がただ単に一般的でないのだと思っていた。
しかし、もしかしたら日本では間違った作法が一般化しているのかも知れない。つまり「ポットのための一杯」だけが一般化し「薄めるためのお湯」は一般化しなかったのだ。従って、多くの日本人は濃く渋い味が紅茶本来の味だと思いこんでいるのかも知れない。と、議論を展開してみたがもし間違った認識があったら誰か指摘してくれないだろうか。というか、こんなことは当たり前のことなのかなあ。
これが事実だとするとびっくりである。伝統的な作法というものにもちゃんと理由があるのだなあ。というか、理由を知らずに作法だけなぞるやり方はやはり適切でないのだなあと思った。尤も、一番適切なのは作法の理由を知って守ると云うことよりも、作法を知りつつ自分のやりたいようにやると云うことなのだが。
あと、スコーンとともに出されるジャムとクロデットクリームなのだが、半分に切ったスコーンにそれらをつける順序はジャムが先でクリームが後だそうな。それは、濃厚なクリームが口の周りにまとわりつき、そこで紅茶を口にすることによって得も云われぬ良い味と匂いがするのだそうな。
ちなみに、サンドイッチに挟む具は胡瓜だそうな。僕としては少し物足りない感じ。